ご挨拶
1000テスラ科学の開拓
令和5年4月、学術変革領域研究(A)「1000テスラ超強磁場による化学的カタストロフィー:非摂動磁場による化学結合の科学」が発足しました。化学的カタストロフィーという言葉は、阪大名誉教授で令和5年2月に逝去された伊達宗行先生の教科書やブルーバックスに度々登場し、分子が宇宙の巨大磁場で崩壊する現象として紹介されています。私が1000テスラもの磁場で何か新しいことを始めたいと考えた際に真っ先に頭に浮かんだのがこの言葉でした。また、カタストロフィーという破壊的語感をもつ言葉が、破壊的手法で得られる1000テスラ発生と繋がり、また、“変革”という意味も持ち合わせることから、領域を象徴する言葉としてピッタリだと感じています。
2018年に東京大学物性研究所では、電磁濃縮法により1200テスラの磁場発生に成功しました。物性研では40年以上にわたり一巻きコイル法と電磁濃縮法の2つの方法で100テスラ以上の破壊型超強磁場の開発とその応用研究を行っており、1000テスラ超えは磁場開発の一つの集大成と言えます。未踏磁場領域における新しいサイエンスを開拓できる世界唯一の環境が整ったことを意味します。
ところで、マグネットの機械的破壊限界は約100テスラにありますが、そこにどの様な意味があるでしょうか? 金属ワイヤー中の電子運動と運動の結果生じる磁場との間のローレンツ力がマクロな応力となり、ワイヤーの機械強度を超えるためマグネットが破壊されますが、機械強度はワイヤー材料内部の原子の結合様式で決定されています。(地球上に存在する)金属において、その原子結合の強さによって決まる上限磁場:約100テスラを、物質の安定性を大きく揺るがす非摂動磁場の入り口とみなすのは妥当な気がします。100テスラが入り口であれば、多くの非摂動磁場効果を見つけるためには、さらに強力な磁場である1000テスラ級の磁場が必要です。ちなみに1000テスラでの自由電子のスピンゼーマン分裂エネルギーは銅の融点(1358ケルビン)での熱エネルギーとほぼ同じです。このことからも。固体の凝集状態に大きな影響を与える磁場が1000 テスラ程度にあると考えられます。
本領域では、1000テスラで起こる本質的な非摂動磁場効果の探索と解明が目的であり、研究テーマの発掘が鍵となります。それは、必ずしも従来の磁場応用研究の延長線上にはないと考えています。またさらに、固体を離れて、化学反応と分子、素粒子現象や宇宙プラズマにもその研究範囲が広がっているとも考えています。広大な対象から非摂動磁場効果を発見するには、多くの方々の実験的、理論的アイデアが必要です。1000 テスラ実験はロケット打ち上げのような実験であり、回数も自ずと制限されます。100テスラ以下の周辺磁場を用いた研究の底上げからヒントを得、狙いすました方向(対象物質、実験条件)に正確に打ち上げることで、結果が得られます。(ときには、見当違いの方向に進んでしまうこともあるかもしれませんが、それもまたセレンディピティにつながるかもしれません。)新しいことに挑戦することが、この領域では何より重要です。自由な発想と行動力で、1000テスラ科学の開拓をワクワクしながら進めていきたいと思っています。